公務員批判

公務員批判がよくある。

民間と比べて、融通が効かないのに、給料が高いという。

なぜ、給料が高いのか。

なぜ、融通が効かないのか。

答えを出そう。

モラルと公平性の維持のためである。

給料を高くして身分の安定を保証することにより、損失回避の特性を利用して、不正を起こしにくくし、内規や前例によって裁量を実質なくすことによって、公平性を維持するのである。

 

 

仮に、私が、地方自治体を民営化企業として、運営するのであればまずは何をするか。

当然、住民票や戸籍謄本などの発行手数料を100倍にする。

400円位のものを4万円にする。

おそらく100倍にしても、申請件数は減るだろうが、100分の1になることはない。

就職したり、進学したりすれば、必要とされたりする。需要はつねにあるが、供給は役所でしかできない。完全な独占である。市場原理に従うなら、当然手数料は高くなる。

なぜ、役所の独占なのか。民間企業でも、住民票サービスを行えばいいのに!

ところが、難しい。なぜなら、戸籍や住民票などの書類は、ある意味で信用情報だからである。政府が安定しているという仮定のもとに、安定した信用情報として、機能するのである。

逆に言えば、住民票が信用情報として機能するためには、それがひとつの期間で独占される一方でだれでも同じ条件で登録でき、だれでも安価に手に入れることができるからである。営利目的では信用されにくいだろう。

さて、このような業務において、もっと収益を上げるにはどうしたら良いだろうか。世間からは給料が高過ぎると言われているから、下げることにする。

また、サービスの質を高めるために、職員の裁量を大きくする。

顧客満足度は上がるかもしれないが、一方で、モラルハザードのおそれが高まる。

需要が高く、価値が高いものを取り扱っているのに、給料が安ければ、情報を個人的に売買するほうが、職員の収入は高まるかもしれない。本来の値段より少し安くして、非正規に書類を作成して売るのである。

バレれば当然解雇のリスクを取ることになるが、元々の給料が安いのであれば大した損害ではない。不正や汚職、横領、賄賂などが当たり前になる。いわゆる発展途上国の役人の実態に近づく。

 

日本のどんな小さな役人も、融通は効かないがマジメであり、サービスにサプライズはない代わりに不正もない。

給料が比較的高く、将来にわたって身分が安定していれば、不正をして職を失うリスクは撮りたくないものである。すなわち、障害にわたっての既得権が確保されているがために、損失回避が強く働いて、不正を行いづらいのである。

同時に融通が効かないのは、裁量を制限しているためである。

受付業務を行う小役人は、ほとんど裁量がない。決められたことしかできない。これは、受け付けた職員によってサービスが異なれば、公平性を欠くと考えられるためである。そのために、窓口業務を行う職員の裁量は、前例や内規によって著しく制限するのである。裁量がなければ融通が効かない。

では、役所の後ろの方に座っているおっさんは何をしているのか。かれらは、おそらく、窓口職員にない裁量を持っている。窓口の職員も人間である。つい情にほだされて、特別なはからいをしたく成るかもしれない。だが窓口を担当していない職員が裁量を持つことによって、利用する市民に対面しないがために、情に流されにくく成る。

 

給料を安くして、コンビニのアルバイト並みの人材に、市役所業務をやらせるだろうか。それほど人間を信頼して良いのだろうか。